ランニング

大人の部活に求められる自律とは

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フルマラソンは人生より厳しい?

フルマラソンはよく人生に似ていると言われます。しかし、私はランニングは、時として人生より厳しいのではないかと考えることがあります。

勉強や仕事をサボれば、誰かが叱ってくれます。ランニングでは、走らなくても誰も何にも言ってくれません。

朝ランをサボりたくて布団の中にいても、誰も起こしてくれません。

夜ランを何か理由を付けて走らなくても、誰も忠告してくれません。

一人での練習中に妥協をしても、誰も何も𠮟咤激励してくれません。

練習しなくても、誰にも迷惑がかかりません。

しかし、レースでは練習でサボった分、ダイレクトで結果に出ます。

テストや会議前の一夜漬けのように、レース直前に急に練習量を増やすと、高確率で故障します。

人間ドックの前に減量するような、焼き付け刃も通用しません。

それでもって、時間は有限です。どれだけ練習しても、努力の方向が間違っていたら結果は出ません。

情報が溢れている現代。いくつもある練習方法から自分に合ったものを取捨選択しなくてはなりません。

フルマラソンにおいて、努力の方向が正しかったかどうかはレースでのタイムがすべてです。

このように、マラソン練習は自律、そして、自責が求められます。

私は2回目のフルマラソンで、そのことを嫌というほど見せつけられました。


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後悔

 2017年12月。6時間前に2回目のフルマラソンを終えた帰路の飛行機。自己ベストを13分更新したにもかかわらず、出てくる感情は悔しさというか、後悔だけでした。2週間前に膝を痛めて、万全な状態で当日を迎えられませんでした。しかし、それ以上に1年間の取り組みが甘かったし、自分を律することができていませんでした。スタートラインに立った時点で、サブ3.5を目指す資格がありませんでした。

 初マラソンでは、30キロ地点で肉離れを負ったにもかかわらずサブ4を達成して、2回目では一応サブ3.5を目指してはいたけれど、実際は、今思うとマラソンをなめていました。口だけでした。肉離れが癒えた5月中旬から練習を再開し、スポーツ整形の先生と相談しながら、少しずつ走る距離を増やしていきました。当時は内容は関係なくて走行距離を増やせば速くなれると思っていました。練習では妥協し続けて、3キロで切り上げる日もありました。雨が降らないかな、と思う日も少なくはありませんでした。1年を通して自分に負けていました。

 実際のレースでは、サブ3.5のレースペースであるキロ4分57秒より速く走れたのはたった1キロだけの惨敗。前日にビールを飲んでしまい途中でトイレにも行ったし、飛行機の中では本気でやめようと思いました。


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覚悟

やるか、やらないか

 しかし、負けず嫌いなのでこのままではやめられないと思い、あと1年だけマラソンと真剣に向き合うことにしました。今思うと笑い話ですが、1年後にサブ3.5を達成できるか、できないかは今後の人生を大きく左右するとさえ思っていました。それぐらいの覚悟でした。

『1年後の同じレースをラストランにして、絶対にサブ3.5を達成する』

『すべてはサブ3.5のために』

 ここから自ら退路を断った最後の1年が始まりました。3回走ったフルマラソンで唯一、不完全燃焼だった2回目のレース。スタート早々に目標は諦めていたけど、次に備えてある試みをしていました。そのことが、最後の1年の練習の礎となり、サブ3.5を達成できた大きな要因となるのですが、次回はそのあたりのことをお話ししようと思います。


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